うぬぼらけ

備忘録

春眠暁を覚えず

眠い。

ただひたすらに眠い。

直近2年くらい遡って、眠くなかった日がない。

さすがに青年期だからと言ってもこれはヤバいだろう。少なくとも僕の勉強には大きな支障が出ている。

 

春眠暁を覚えず。

 

もうそんなレベルではない。

 

この眠さは春のみに収まらない。

 

夏眠も秋眠も冬眠も、

 

一年眠暁を覚えずだよこれは。

あずきバーの硬さについて

夏が来た。

東京は既に例年を上回るほどの猛暑に襲われ、自分の生活サイクルの中に組み込まれたアイスはもはや欠かせないものとなっている。

各社が凌ぎを削る多種多様なアイスの中で、その硬さからひときわ異彩を放つアイスがある。

 

 

あずきバーである。

 

 

その硬度はサファイアのモース硬度を上回り、それによって例年アイスにかじりつく人々の歯を返り討ちにしているという。毎年夏になるとあずきバーに病院送りにされる人々が後をたたない恐ろしいアイスなのである。

 

ふと思うことがある。

 

これで人を撲殺して、食べたら完全犯罪じゃないか。

 

こんな硬い代物、犯人にとっては最高の凶器である。食べたら証拠も残らない。さしもの名探偵コナンもこのトリックは見破れないだろう。

 

ある暑い夏、とある団体が離島に建つ洋館に訪れる。

 

 

しかしそこで、大型台風の発生により外部との通信が遮断。帰ることも出来ず島は完全な孤島になってしまう。

 

そんな中で、団体のメンバーは一人、また一人と謎の打撲痕を残し殺されていく。

 

果たして、浮かび上がる意外な犯人とは?

そして打撲痕の正体は-?

 

最後の一行を読み終えた時、あなたは戦慄する-!

 

 

うん、これは売れる。

誰かこの題材で小説書いて下さい。

 

 

 

 

 

 

部屋が、片付かない。

部屋が、片付かない。

 

もうかれこれ二時間ほど片付けているが、ちっとも片付かない。

 

こんなにも部屋は片付かないものだったろうか、おそらくはハロウィン後の渋谷周辺でさえもう少し片付いているであろう。

 

なぜ部屋が片付かないのか?あまりにも片付かないのでしばらくそれについて少し考察してみる。

 

まず一つ考えられるのが、物が多すぎることだろう。もう食べないお菓子、訳のわからないチキン、要らないものが多すぎる。

 

大体なんだこのチキンは。

 

 

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多分このチキンが僕の人生で役立つことは、神に誓って、これから一生無いであろう。

 

 

 


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これから一生、一度もである。

 

 

 

断捨離という考え方が僕はあまり好きではないのだが、それにしてもいくらなんでも要らないものが多すぎである。

 

雑多なプリント類も引っ越し用のドデカい段ボール箱にもう三箱くらい詰めたはずなのに一向に減らない。こいつら嫌がらせのようにどこかから沸いて出てるんじゃないだろうか。

 

プリントの中身も小学校の頃の保健だよりとか、心底どうでもいいものばかりである。

 

 

そして理由としてもう一つ、棚はあるけれどそこに効率的に物を置けていないということも考えられる。

 

例えばノート類や教科書類を例にとっても、今使うものと使わないもので分けるべきか、使うものは関係なく教科別にしておくべきか、二種類の分け方が考えられ、それぞれに長所も短所もある。

 

そして自らがキチンと棚に置かれた教科書を欲しいという時にも、教科別で欲しいと思う時と、今使う要るものだけ欲しいという時、二種類がある。

 

これがどういうことを指すか?

 

要するに、時として違う自分のニーズにいつでも完璧に答えられるような理想の収納というものは、絶対に作れないのである。

 

 

絶対に、である。

 

 

しかし人はつい理想を追い求めてしまう。

しかし、それが出来ないことも自分で薄々分かっているからこそ、最終的に完璧な収納に近づける努力すらも無意味に感じられ、最終的にはその努力を放棄してしまう。

 

結果として部屋が汚れる。

負のスパイラルである。

 

しかし、本当に部屋を片付けるのは難しいことなのだ。ちゃんと趣味や勉強等、部屋にあるものを分野別に分けようとはするのだが、お前は一体どう分別すれば良いのか、僕には分からない。


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ああ、こんなことをしてる間にもう一時間経ってしまった。

もうこんな時間である。

 

部屋は未だに片付いていない。

「意識高い系」に潜む矛盾

最近ネットでよく聞かれる「意識高い系」という言葉をご存じだろうか。

 

まあ分からない人のために簡単に説明すると、職場でやたらと難しめのビジネス用語を使う人間たちの総称である。

 

彼らがその口を開く度、その口からはマンパワーがどうだアライアンスがどうだPDCAを回してはどうだ…と、正直何なのかはよく分からないが、どこか格好良く思える横文字が流れ出してくる。

言葉の意味はよく分からなくても、口から止めどなく横文字が流れ出してくるあの迫力には圧倒される。

 

 

 例えば職場で、最近やり手の業界人からこのような言葉が飛び出る。

 

「フレキシブルにコンセンサスをとってPDCAを回すことがグランドデザインをガバナンスする立場にとって重要なんだ。」と。

 

 

分からない。分からないけどなんか凄い。

 

一体なにがコンセンサスだと言うんだ。

 

 いきなりこんなことを言われたら大体の人は勢いに押されて「あ、ああ、まあ、そうですよね。」と言ってしまうだろう。

 

その言葉の意味は分からない、けれどもやはりこの数多の横文字達にはなんとなく周りの同意を促す力を持っているような気がする。

 

一体何に同意しているのか同意している当人には分かりっこないだろうが。

 

 

しかし、こんなにも語彙力を持った業界人にはやはり憧れる。一体どこで学んだのだろうか。「ヤバい」と「エモい」しか感動を表す語句の無い僕の貧困なボキャブラリーが悔やまれる。

ああ、僕も語彙力の鬼になって、数多の業界人達とPDCAアジェンダしてアライアンスのスキームをアグリーしたい。意味はわからないけど。

あああ、天才になりたいなあぁぁ!!!

あああぁあぁぁあぁああぁあ!!

 

ふと、ここで私は電子辞書を立ち上げる。電子辞書には大量の語彙が詰まっている、正に人間の作り上げた英知の結晶である。

 

 

さあ、もう私は文明の利器、電子辞書を身につけたことにより無限の語彙力を得た。もう怖い物など何も無い。

もう意識の高い業界人同士の相剋や、今日此頃になって頓に増えた箴言アイロニーを含んだアネクドートを集約した篇帙に恐れることは無い。

 

むしろ私がこの縹渺とした言葉を操り、衒学的な文章を生み出す側になってみせよう。

 

今、私は意図的に晦渋な単語を使用して文章を拵えているわけだが、有り体に言うと、

かなり面倒臭い上に空疎で風袋倒しな文章になってしまった。

 

ここまで書き上げただけで私の2bitほどの容量の脳はすでにパンク寸前であるが、みなさんはある一つの真実にお気づきになっただろうか。

 

中身が、ないのである。

 

難しい言葉で装飾され、あたかも凄いことを言っているかの如く放たれたる言葉たちは、実はそんなに大したことを言っていない。

難しい語彙で固められた、ハリボテの中身である。これでは理論武装した竹槍と何ら変わらないだろう。

 

例えば最初に意識高い系の業界人が言った言葉を引用してみよう。

 

「フレキシブルにコンセンサスをとってPDCAを回すことがグランドデザインをガバナンスする立場にとって重要なんだ。」

 

これ、実は全く難しくない。

 

まず、「フレキシブルに」は、「柔軟に」という誰でも分かる言葉に変換出来る。

「コンセンサス」も一見難しそうだが、日本語で「合意」の意味である。

PDCAを回す」とは計画して、実行して、それが上手く行っているか評価して、駄目なところを改善していく…要するに、「上手くやる」ということである。

「グランドデザイン」とは「大規模な計画、壮大な構想」といった意味である。

「ガバナンス」は「管理する、統治する」の意味である。

 

これらの語句を全部元の言葉に代入すると次の意味になる。

 

「柔軟に合意をとって上手くやることが壮大な計画を管理する立場にとって重要なことだ。」

 

もうこれでいいじゃん。

 

なぜ自分の語彙力を示すためにわざわざ人に伝わらない言葉を使うのか?そもそもの話ではあるが、仕事できるやつは絶対そんな人に伝わらない言葉は使わないだろう。仕事においては自分の考えが人に正確に伝わる方が重要だからだ。

 

つまり彼らは自分を大きく見せようとするあまり、逆に自らの無能を晒しているのだ。

それは今の「意識高い系」の大きな矛盾に他ならない。