「意識高い系」に潜む矛盾
最近ネットでよく聞かれる「意識高い系」という言葉をご存じだろうか。
まあ分からない人のために簡単に説明すると、職場でやたらと難しめのビジネス用語を使う人間たちの総称である。
彼らがその口を開く度、その口からはマンパワーがどうだアライアンスがどうだPDCAを回してはどうだ…と、正直何なのかはよく分からないが、どこか格好良く思える横文字が流れ出してくる。
言葉の意味はよく分からなくても、口から止めどなく横文字が流れ出してくるあの迫力には圧倒される。
例えば職場で、最近やり手の業界人からこのような言葉が飛び出る。
「フレキシブルにコンセンサスをとってPDCAを回すことがグランドデザインをガバナンスする立場にとって重要なんだ。」と。
分からない。分からないけどなんか凄い。
一体なにがコンセンサスだと言うんだ。
いきなりこんなことを言われたら大体の人は勢いに押されて「あ、ああ、まあ、そうですよね。」と言ってしまうだろう。
その言葉の意味は分からない、けれどもやはりこの数多の横文字達にはなんとなく周りの同意を促す力を持っているような気がする。
一体何に同意しているのか同意している当人には分かりっこないだろうが。
しかし、こんなにも語彙力を持った業界人にはやはり憧れる。一体どこで学んだのだろうか。「ヤバい」と「エモい」しか感動を表す語句の無い僕の貧困なボキャブラリーが悔やまれる。
ああ、僕も語彙力の鬼になって、数多の業界人達とPDCAをアジェンダしてアライアンスのスキームをアグリーしたい。意味はわからないけど。
あああ、天才になりたいなあぁぁ!!!
あああぁあぁぁあぁああぁあ!!
ふと、ここで私は電子辞書を立ち上げる。電子辞書には大量の語彙が詰まっている、正に人間の作り上げた英知の結晶である。
さあ、もう私は文明の利器、電子辞書を身につけたことにより無限の語彙力を得た。もう怖い物など何も無い。
もう意識の高い業界人同士の相剋や、今日此頃になって頓に増えた箴言やアイロニーを含んだアネクドートを集約した篇帙に恐れることは無い。
むしろ私がこの縹渺とした言葉を操り、衒学的な文章を生み出す側になってみせよう。
今、私は意図的に晦渋な単語を使用して文章を拵えているわけだが、有り体に言うと、
かなり面倒臭い上に空疎で風袋倒しな文章になってしまった。
ここまで書き上げただけで私の2bitほどの容量の脳はすでにパンク寸前であるが、みなさんはある一つの真実にお気づきになっただろうか。
中身が、ないのである。
難しい言葉で装飾され、あたかも凄いことを言っているかの如く放たれたる言葉たちは、実はそんなに大したことを言っていない。
難しい語彙で固められた、ハリボテの中身である。これでは理論武装した竹槍と何ら変わらないだろう。
例えば最初に意識高い系の業界人が言った言葉を引用してみよう。
「フレキシブルにコンセンサスをとってPDCAを回すことがグランドデザインをガバナンスする立場にとって重要なんだ。」
これ、実は全く難しくない。
まず、「フレキシブルに」は、「柔軟に」という誰でも分かる言葉に変換出来る。
「コンセンサス」も一見難しそうだが、日本語で「合意」の意味である。
「PDCAを回す」とは計画して、実行して、それが上手く行っているか評価して、駄目なところを改善していく…要するに、「上手くやる」ということである。
「グランドデザイン」とは「大規模な計画、壮大な構想」といった意味である。
「ガバナンス」は「管理する、統治する」の意味である。
これらの語句を全部元の言葉に代入すると次の意味になる。
「柔軟に合意をとって上手くやることが壮大な計画を管理する立場にとって重要なことだ。」
もうこれでいいじゃん。
なぜ自分の語彙力を示すためにわざわざ人に伝わらない言葉を使うのか?そもそもの話ではあるが、仕事できるやつは絶対そんな人に伝わらない言葉は使わないだろう。仕事においては自分の考えが人に正確に伝わる方が重要だからだ。
つまり彼らは自分を大きく見せようとするあまり、逆に自らの無能を晒しているのだ。
それは今の「意識高い系」の大きな矛盾に他ならない。